ゴキゲンでいる為には

何故人は不満を感じるの?

全てに満足していたらそこに繁栄はないからだよ

とかじゃなくて、もっと日常的な些細なとこ

 

例えば「一緒にいるのに携帯ばかり見ている」とか「私の前で元嫁や娘の話をする(聞きたくないのでしないで欲しいと言っている話を変わらずする)」とか「1時には帰るって約束したのに1時過ぎたあたりでビールもう一本開け始めた」とか。

 

ゲッターズ飯田曰く、「不満がある時は感謝が足りない時」とのことで、それは私もきっとそうなのだろうと思ったんだけど。

でも日常的に、物凄く些細な根本的なところに感謝し続けて全ての不満を昇華しようとするのは無理があると思う。

もちろん心掛けようとは思っているし、その意識だけでも大切とは思うんだけど、美しい尊い意識の高さというか、ずっと心に留めておくの、疲れてしまうなあとも思う。

 

お母さんがよく言う言葉

「人に何言っても無駄」

「全部あんたの問題」

こういう、割り切り方というか諦め方というか、そういう考え方の方がわかりやすくて楽ちん。

「こういう人だから仕方ない」

「私は私で楽しくやるよ」

というところまで、早く辿り着きたいな。

私のためにも。

 

でも、「自分の機嫌を自分で取る」ということは、思考回路の変換だけでは無理があるよね。

要因を無くすことができないのなら、せめて見ないようにする、聞かないようにする、居ないようにする、自分の世界には入れないようにして自分の心を守ることは必要かもしれないな。

好きな歌を歌うとか、お笑いの動画を見るとか、奮発して新書を買っちゃう、とか。

そういうことも大切。

できる範囲で、私は私を大切にしながら、相手を尊重できるように、寛容であれるように、愛していこう。

 

人や物や世界を愛することは気持ちがいいなあと思う。

もっと優しくなってもっと愛したいなあ〜。